やらなきゃ、やりたい、と思いつつ、
このところ手が止まってしまっていた断捨離を、今日やっと再開。
進まなくなってしまっていた理由は、
あの人形が付いた羽子板を発見し、捨てることへの躊躇いが生まれ、
懐かしい物に対するセンチメンタルな感情が湧いてきてしまったからなのか。
それとも、ただ単にめんどくさかっただけなのか。
自分のことだ、後者であるに違いない。
あの羽子板は、どう処分するかまだ思案中。
棚の一番上に箱に入って置いたままになっている。
物質的には、ただの木でありプラスチックなだけなのに、
顔があって人の形をしているというだけで、何か特別な意味を持ってしまうのだ。
今日、断捨離しようと思えたきっかけは、何気ないことだった。
明日、ピアノの修理に来てもらうことになっているのだ。
右のペダルが、キーキー音がするようになってしまったから。
なので、ピアノが置いてある部屋を少し掃除した。
そんなに散らかっているわけではないので、軽くクリーナーをかけたぐらい。
掃除が済んで、手を洗おうとしたのだけど、
そうだ、手を洗う前に、ついでに断捨離しようという気になったのだ。
今日は母親が使っていたデスクの上を片付けた。
母が大事にとっておいた細かいものが、ごちゃごちゃといっぱい。
その他にも、父の葬儀の時の書類なんかも置いたままになっていた。
自分が色々なものを、取り敢えずの置き場にしてしまっていたのだ。
写真はちょっと捨てられない。
まだ使ってない切手とかハガキも一応取っておこうか。
郵便局に持って行けば幾らかの手数料がもらえるらしいし。
そして、母が使っていたメガネが出てきて、また手が止まってしまった。
メガネを見て、母の顔が浮かんできて、色々な思いが溢れてきて、
柄にもなく、涙が止まらなくなってしまった。
それほど仲のいい母と娘ではなかったのに。
そして、この部屋に対する思い。
この部屋は、まだ個室が与えられる前に、家族みんなで使っていたのだ。
母のデスク以外にも、自分や兄姉の勉強机も置いていた。
この部屋でいつも宿題をしていた。
なので、羽子板だのぬいぐるみだの画用紙だの、
自分が子供の頃使っていたものが色々と出てくるのだ。
あの頃は、家族がいて、家族みんなでこの部屋で、この家に、暮らしていたのだ。
今は、自分一人になってしまった。
まさか、この家に一人で暮らす人生になるとは思わなかった。
一人は自由で楽しくて嫌いじゃないはずなのに。
この部屋を自分のオフィスにしたくてたまらないはずなのに。
早く綺麗に片付いた方が嬉しいはずなのに。
なぜ寂しいと感じるのか。
断捨離とは、時に痛みを伴うものなのだと知った。
全て綺麗に片付くまでに、何度こんな思いをしなければならないのか。
結局、母のメガネは、捨てた。
母の目に合わせて作ったメガネ。もう誰も使う人はいないのだから。
その他、デスクの上にごちゃごちゃと置いてあった物のほとんどを捨てて、
デスクの上には、何も物が無くなった。
でもまだ、引き出しの中はこれから。壁一面の本棚も。
まだまだ断捨離は続くのだ。
年内に間に合わないかもしれない。
コメント2件
–
顔のあるものって捨てづらいよね。
わかる気がする。
断捨離、期限はないのだからゆっくり気長に進めればいいんじゃないの。
ただ書類やレシート類は気をつけないとすぐ溜まっちゃうよね。
せっかく整理のために帆布のマガジンラック買ったのに、いつの間にかすぐ捨てるかどうか決めかねる物入れになっちゃって、もう重くて持てない😅
2022年10月30日 (日) 20:14
ももこ
To にゃんたさん
にゃんたさん(^_^)
そうですよね、期限決めずに、自分のペースでボチボチやることにします。
おかげで気が楽になりました。いつもありがとうございます😊
捨てようかどうしようか迷ってるものの置き場がいっぱいになっちゃうって、
よーーくわかります(笑)
2022年10月30日 (日) 20:39
コメント