前記事の続き。
中学生になってからも、やめたい気持ちを常に抱えつつ、
時々、母に、やめたいと訴えつつも許してもらえず、
ダラダラとピアノを続けていた自分。
しかしピアノを大好きにこそなれなかったが、決して嫌いではなかったのだ。
続けたおかげで、そこそこ上達もしていた。
ここまで習ったからには、難しい曲も弾けるぐらいまでになりたい、という気持ちもあった。
ある日、姉に聞いてみた。
『ねえ、ピアノって、どのくらいまで習ったら難しい曲でも弾けるようになるの?』
すると姉は、『ツェルニー50番ぐらいまでらしいよ」と答えた。
ピアノを習ったことがある方々ならご存じだと思うが、
ツェルニーは、100番→30番→40番→50番→60番、の順で難易度が上がっていく。
そうか、じゃあどうせなら、やめるのは50番までやってからにしよう。
と、多分その頃ツェルニー40番をやっていた私は思った。
ピアノをそれほど好きになれなかった自分も、
「ピアノを弾ける自分」、は完全に失いたくない、という気持ちがどこかにあったのだと思う。
中2になって、ツェルニー50番を習うようになっていた。
これが終わったら、ピアノをやめよう、やめたい。
でも母が許してくれるだろうか?
私はちょっとした策を思いついて、こう切り出してみた。
『ねえ、来年は高校受験だし、もうピアノをやめたいんだけど。。』
すると意外にも母は、『そう、わかった。やめていいよ』とあっさり許してくれた。
やったーー! とうとうピアノをやめられるーーー♪
めちゃめちゃ嬉しかったのを覚えている。
なぜ母が許してくれたのか、ポイントは「高校受験」のフレーズだ。
母は中途半端に教育熱心な人だった。
ピアノをやめる理由として「高校受験」を引き合いに出したことが大当たりだったのだ。
ピアノも大事だけど、一番はお勉強を頑張ってもらわないと、
きっと母の思考回路はそんな感じだったと思う。
さて、めでたくピアノをやめられた私。
もう練習をしなくてもいい解放感でいっぱいだった。
しばらくは少しも弾きたいと思わなかった。
なので高校時代はピアノに触った記憶が全くない。
高校を卒業して大学進学とともに上京することになった私。
上京してから2、3年は姉と暮らすことになった。
姉は私と違ってピアノが大好きで、高校時代もずっと続けていた。
音大進学を密かに夢見ていた頃もあったらしい。
結局それは叶わなかったが。
姉は、私より数年早く上京していたが、その際、
クラヴィノーバという電子ピアノを買ってもらって、
東京の部屋に置いて、時々弾いていた。
姉と暮らすようになってから、ある日、姉がクラヴィノーバで
ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」を弾いていた。
それを聴いた私は、なんて綺麗な曲なんだろう、自分も弾いてみたい、
とピアノをやめてから初めて、またピアノを弾きたいと思ったのだ。
姉に、『この曲は難しいの? 私でも弾けそう?』と聞いてみた。
姉はこう答えた、『別にそんなに難しくないよ。ももこでも大丈夫だよ』。
私は大学の冬休みで帰省する際、パヴァーヌの楽譜を買って、実家に持って帰り、
休み中に早速弾いてみた。
テンポがゆっくりだし、姉が言ったとおり自分にも弾けた。
好きな曲を弾ける、というのは楽しいものなんだなー、と思った。
これが私の初の、ピアノ再開、だ。
続く。
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